写真左から:山田光洋(CWMマネージャー)、徳永憲二、篠田智仁、大和田誠、荒川良々(俳優)

20周年を迎え、初の2枚組ベスト・アルバムをリリースしたCOOL WISE MAN。彼らの音楽を愛してやまない面々に会いに行き、たっぷり話を訊こうというスペシャル企画!
第一弾は、ライヴにも足繁く通うほどのファンを自認する俳優・荒川良々と、COOL WISE MANの20周年コラボTシャツを手がけるなど、公私ともに付き合いの深いDOARATのデザイナー/ディレクター・徳永憲二。
COOL WISE MANより迎え撃つはベーシストでリーダーである篠田智仁と、ギターの〈バクちゃん〉こと大和田 誠。
緑茶ハイを飲みながらのクロストークは、思わぬほどディープな部分に進んでいき……。

──荒川さんの姿は、COOL WISE MAN(以下、CWM)のライヴ会場でよくお見かけするんで、相当なファンなんだろうなって思ってました(笑)。

大和田今となってはすごく仲良くさせてもらってるんだけど、俺も最初は挨拶していいのかわからなかったんですよね。俺の場合は、CWMに入ってから日が浅かったので、まずメンバーとして知られてるかどうかも不安だったし(笑)。

篠田荒川さんって、芸能人風吹かせて「来てやったぞ」みたいな感じ出さないじゃないですか。いつの間にか遊びに来てくれてて、楽屋にも寄ってくれて。よく来てくれるから、だんだん打ち解けていった感じだよね。俺はテレビのこととかあんまり知らないけど、普通の人はもっと役者としてのイメージみたいなものがあるわけじゃないですか? 俺は知らないから、逆にこうやって普通に話せるのかもしれないけどね。

──そもそも徳永さんと荒川さんが、CWMと出会ったきっかけはどういうところからだったんですか?

徳永俺の場合は、最初は浜ちゃん(浜田光風)つながりだよね。浜ちゃんがヒラノブラウン(Three One Length)たちと知り合いで、よく店に遊びに来てくれてたんですよ。で、ウチの展示会で紹介されたのが、仲良くなったきっかけかな。

篠田俺が徳さんに最初に会ったのは、徳さんと浜ちゃんがMIXで飲んでた時に紹介されたような気がする。

徳永MIXも大人が集まる遊び場って感じしたよね。悪かったし、なんか怖いイメージあったけど、楽しいんだよね。それからCWMのライヴも観に行くようになって。「かっこいいバンドいるから観に行こうよ!」って良々もライヴに誘って、一緒に行くようになってね。僕はもともとスカが好きで、スカ・フレイムスも大好きだし、スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)も私服で路上ライヴやってた頃から観てて。CWMを初めて観た時も共通するような、ちょっと泥臭い感じがカッコいいなって思ったのを覚えてます。

山田(CWMマネージャー)その後、DOARATの10周年パーティにCWMが出させてもらってから、さらに密な関係になっていきましたね。

──荒川さんも、以前からスカは好きだったんですか?

荒川ええ、好きでした。僕は佐賀の出身なんですけど、福岡に出てからレコード屋に通うようになって。DON'S RECORD MARTでスカやレゲエのレコードをよく買ってましたね

──荒川さんは、DJになろうと思って上京したって話を聞いたことがあるんですが。

荒川違う違う。DJになろうとはしてないです(笑)。3ヶ月ぐらいニューヨークに行ってたことはあるんですけど。

徳永ニューヨークは何しに行ったんだっけ? ブロードウェイでダンスの勉強?

荒川いやいや、その頃は役者も目指してなかったし(笑)。

篠田じゃあ実際は何しに行ったんですか?

荒川まぁ、なんでしょうね……福岡で女にフラれたりとか(笑)。で、一人暮らしの部屋で村上龍の本とか読んでると「日本人は群れる」みたいなこと書いてあって……その頃、いろいろと影響受けやすかったんですよ(笑)。1994年ぐらいでヒップホップもばんばんレコード出てたっていうのもあって、ニューヨークに行ってみたいと思い立って。飛行機の中で地球の歩き方とか読んで、飛び込みで安いホテル泊まって、一人でクラブ行ったりしてね。

篠田その頃いくつだったんですか?

荒川二十歳ぐらいですね。

篠田俺、荒川さんと同じ歳だから、ちょうど同じ頃にジャマイカからニューヨークに行ってたんです。きっと、そういう時期なんでしょうね(笑)。

荒川帰国して、高校の同級生が東京でバンドやってて高円寺に住んでたから、佐賀に戻らずにそのまま東京で暮らすようになって。

篠田そこから芝居の道に進んだんだ? そのきっかけはどういう感じで?

荒川それも女ですね。

徳永いいねぇ、節目節目に女の影響がある(笑)。

荒川当時バイト先の女の子が小劇場に詳しくて、そのきっかけで演劇を観に行って。そこで大人計画のオーディション募集のチラシを見て、軽く受けてみようかなって。

徳永そしたらトントン拍子に役者になっていったんだ?

荒川何も怖いものなかったからじゃないですか? 逆に演劇のこととか勉強してたらアレだったでしょうけど。

大和田僕らが音楽はじめるきっかけと、似たようなもんですよね(笑)

──たしかCWMには、このバンドを組んだことがきっかけで楽器をはじめたってメンバーもいましたよね?

篠田俺とジュンちゃん(平出順二)とマコっちゃん(竹内誠)は15、6歳の時に一緒にバンドをやってたんだけど、一度辞めてて。それでスカ・バンドやりたくなって、ジュンちゃんに「お前テナーサックスはじめろ」って言ったら「テナーサックスって何?」って(笑)。「いいから買ってみろ!」って無理矢理買わせて。それまではグレッチのギター持って、リーゼントにして歌ってたからね

──そうなんですか!?

篠田ロカビリーっていうか、ストレイ・キャッツとかやってたんですよ。俺もウッドベースを弾きはじめたの、CWMで初めてだったし。当時のトロンボーンなんかもみんな初心者だった。

徳永みんな楽器も出来ないのに集まって、スカ・バンドをはじめたっていうのも面白いよね。

篠田管楽器って、楽器によってキーが違うんですけど、それを知ったのも組んで3年目ぐらいでしたからね。(笑)。「なんでお前らCの音が出せないんだよ、このヘタクソ!」って、公園で怒ったり(笑)。

徳永バクちゃんは、CWMに参加するようになったのはいつからなの?

大和田5年ぐらい前からですね。それまではBamboo Swingっていう別のバンドをやってて。

山田オーストラリアとニュージーランドでツアーをやることになったんだけど、その直前でギターが抜けちゃって。どうしようって思ってまわりにいるギターが弾ける人をざっと挙げてみてね。

篠田どうしようかってギリギリまで悩んで、豪州ツアーに関してはギター無しでいくかなんて言ってた時に、当時copa salvoの(小西)英理ちゃんとまた別のバンドとかやってたんだけど、そこでバクちゃんの話になって。「あ! バクちゃんがいた!」って、その場で電話して。

山田その1ヶ月後には一緒にツアーしてたね(笑)。

大和田試し打ちみたいなリハはフル・メンバーじゃないにせよ出発前に出来たんだけど、全員揃って初めて演奏したのは、向こうに行ってからだったね。

徳永そうなんだ!?

篠田俺もその頃はまだ厳しかったから、本番中にバクちゃん怒鳴りつけたりしてね(笑)。

荒川え? 本番中に?

大和田そう、チョー怒られた(笑)。

篠田演奏しながら、「何やってんだよ! 違ぇよ!」とか怒鳴って(笑)。バクちゃんが、ちょっと雰囲気に呑まれてたから、これは喝を入れなきゃいけないって思って。

徳永さすが、リーダー。

山田まぁ、マコっちゃんは今でも怒られるけどね(笑)。

篠田俺の前にいるサックスの奴は、ちょっとボーッとしてると、後ろから俺に思い切り蹴られてますからね。舞台上なんで、ニコニコしながらケツ蹴ってる(笑)。まぁ、そんなのは滅多にないことで、普段はボケーッとやってますけど。

大和田しかし怒られたねぇ。「気持ちが足りねぇ!」とか。

篠田よくわかんないよね(笑)。とくに俺らは先輩がスカ・フレイムスだったり、スカってものはちょっと悪い音楽だ、みたいなところから入ってるじゃないですか? 最近の若いスカ・バンドは、みんな上手だしポップだし、アタマ良さそうなんだけど、俺らは、スカはちょっと悪い音楽っていうイメージがあるから。バクちゃんは、CWMに入る前はそういう感じじゃないフィールドで勝負してきたから、ちょっと品が良すぎたというか。今はそれが武器になってるんだけど、その頃はちょっと呑まれちゃってるところがあったからね。

大和田まぁ、入ったばっかだったし、実際にどうやっていいかわからなかったからね。

篠田「男らしく弾け!」とかね(笑)

──そういう風に言われた時は、実際にどうしたんですか?

大和田まぁ、いきなり海外でライヴだったし、とにかくやるしかないって思って(笑)。ちょっとヘンな色気だすと、ビシッと言われるんですよ。

山田バクちゃんなんて、ライブ終わった後に泣かされたことあるもんね。

大和田それは山ちゃんにね(笑)。

山田やるならちゃんとやる! 目立ちたいのか目立ちたくないのか、はっきりしろ! って言って。バンドに入って間もない時期だったから、まだ馴染めてないとか、自分の中では葛藤があったんだろうね。でも、ああいうところで泣けたから今があると思うし。

徳永うん、そういうのは全然恥じゃないよね。

大和田たしかに、それがあったことで素っ裸になれた感じはありますね。

山田みんな古い人間だからさ、それを知ってるじゃん? ジュンちゃんも素っ裸になったし、マコっちゃんも素っ裸になったし。ま、実際に酔っぱらって素っ裸にところも見てるんだけど(笑)。

大和田なんかトップダウンな感じじゃなくて、一緒にやってる仲間だろ? って感じで言ってくれるのが嬉しいんだよね。

徳永そこはやっぱりリーダーだね

──そういう関係性って、すごくいいですよね。

荒川みんな年取って涙もろくなってきたんじゃないですか? 僕も話してたら急に泣き出したりするし(笑)。

徳永僕もブランドで代表やってるから、言いたくないけど言わなきゃいけないところもあるし。だからリーダーはすごく大変だと思うけど、そこでみんなに好かれようと思ってやってたら、やっぱりいいバンドになってないと思うし、僕らもいいブランドになってないと思う

──やっぱり中心に立ってる人の美意識とか、芯にあるものがしっかりとあるから長く続いていくし、広がっていくんでしょうね。

徳永僕の師匠は(渡辺)俊美さんで、僕はそばでずっと見てきたけど、やっぱり男気を感じますからね。昔からずっと俊美さんから代表の座を譲るって言われてきて、断り続けてきたんです。二番目が一番楽だし、責任もないし、言いたいこと言えるから。だけど、いざ代表になったら嫌われ役にならないといけないし、それでついて来ない人は、俺にとってはどうでもいいし。時には仲間や友達である人をブランドを運営していく上で切らなきゃいけない場面もあって、それはすごく辛かったけど、でもやらないと何も先に進まないから。

篠田自分もそうだけど、精神論って一番イヤじゃないですか? だけど、そういう部分も大事にしなくちゃいけないっていうのもわかるんだよね。この間も、オイスカルメイツの元メンバーとかと話してて、今の若い子たちは「上下関係なんてうぜぇ」みたいな姿勢がカッコイイと感じてるような部分もあるじゃない? でも、ある程度の秩序ってのは大事なんじゃないかって思ってて。面倒くせぇとか思われても、多少はその感じは残しておかないと。そういうバンドがいなくなってもイヤじゃないですか?

徳永僕らの洋服の世界も似たようなところあるんですよね。あまり若い子たちに文句言うつもりはないけど、上下関係が苦手っていうところもあってか、続けるって意識があまりないのかなって思うことが多い。たとえば若い子を叱ったりすると「あの人もう嫌だ、近寄りたくない」って逃げちゃうことが多いんだよね。でも、そこでちゃんと向き合って、さらに入り込んでいくと、もっと面白いことがあるし、信頼も生まれる。古い考えって言われるかもしれないけどね。

篠田面倒くさいことが好きなわけじゃないんだけど、面倒くさい先に何かがあるっていうのがわかるから。だって、バンド続けていくなんて、面倒くさいことばっかじゃん。でも、そのかわりめちゃめちゃ笑えることとか、本当に楽しいこととかがあるから。直感的にこれは面倒くさそうだけど、楽しいんじゃねぇかなっていうのが大事かもしれない。

徳永DOARATでも一時期、若い奴にデザイン任せてたことがあったんですね。で、これが今の若い奴の感覚だから、オッサンが何言ってもしょうがないかなって思って、自分は一歩引いたところで見てたんだけど、引っ掻きまわすだけ引っ掻き回して「僕、辞めます」って辞めるわけですよ(笑)。それからは自分のやりたいようにやろうと思って。もしそこでブランドが終わっちゃうんだったらそれはそれでしょうがない。だから今は純粋に好きなものばかり作ってますね。

篠田自然にそうやってることで、徳さんが若い頃に肌で感じてきたルードな部分が、洋服に表れてるんでしょうね。狙って前面に出すより、そうやってにじみ出てくるぐらいがちょうどいいというか。ルードっていう部分でいえば、俺らの上にはスカ・フレイムスがいるじゃない? そこは絶対にフレイムスには敵わないところで。

荒川緊張感というか、出てきた時からゾゾッと背筋に走る感じがありますよね。

篠田フレイムスの大川(毅)さんが俺によく言ってくれるのは「スカは緊張感がなきゃダメだ」ってこと。昔のスカタライツでも、すごく緊張感が漂ってる感じがあるし、あれが最高峰にあって。でも、そこで俺らが勝負しても敵わないし、勝負してるわけでもない。そうして途中から、俺たちの場合〈ちょいルード〉だから、って開き直った感じはあったかな(笑)。

徳永そこが狙ってるのか狙ってないのかわからないところなんだけど、以前にCWMに話を訊いた時も、スーツを着ないでラフな恰好でスカをやってもいいんじゃないかって言ってたのが印象に残ってて。その感覚は伝わってくるよね。

篠田ちょいルードっていうのは計算してるわけじゃないけど、やっぱりギリギリ縦社会も知ってる世代だから、そのニオイは残さなきゃいけないなって思ってる部分はありますね。

徳永ウチのブランドも若い奴にやらせてる時は、ポップな方向に行ってたこともあったけど、全部自分でやるようになってからは、やっぱり昔DOARATの服が好きだった人も戻ってきてて。こないだも50歳すぎぐらいの人がふらっと来てフードのシャツを買っていってくれて。僕より年上の人が買っていってくれたりするのは嬉しいですよね。それもニオイを感じとってくれたからだろうし。それは良々なんかもきっとそういう感覚が好きでいてくれてるんだと思う。音楽についてもヒップホップしか聴かないとか、パンクばっかり聴くとかそういうのはあんまりなくて、オールジャンル聴くけど、そこでもやっぱり自分にあったニオイが共通している音楽が好きで。

荒川それにどれかひとつに偏っちゃうと、損してる気分にもなっちゃいますよね

──たしかにDOARATのまわりに集う人たちっていうのはジャンルはバラバラだけど、どこか共通する感覚がありますよね。

山田だから徳さんのところに行くのは楽なんですよね。ヒップホップの人もいるし、パンクの人たちもいるし。事務所に寄ると、見た目からしてすげぇ人たちがたくさんいるのね。でもみんな「よく来たな」って迎え入れてくれる。

徳永それがやっぱり、僕らが肌で感じてきた「原宿」なんですよ。今は僕らも原宿の店の中に事務所があるんですけど、前もって連絡がなくてもふらっと寄ってくれる人たちも多いから、仕事にならない時は全然ならないんですけど(笑)。だけど最近は、原宿が綺麗になりすぎちゃってる気がして。昔はホコ天やテント村もあって、もっと雑然としてた。それがどんどん綺麗になっていって、不良の人もいなくなってね。

大和田たしかに昔は、カッコイイ音が流れてる古着屋さんに入っていったりしてましたもんね。

徳永そうだよね。カッコイイ音が流れてるイコール信用できる、みたいな。昔、カッコいい音楽が流れてる大好きだった店があったけど、そこは店員もカッコよかった。というか、怖かった(笑)。昔のROBOTなんかも普通に洋服も見れなかった感じあったもんね。なんなら手の甲でそーっと棚にかかってる服をめくっていくみたいな(笑)。そうやって通っていって、店の人に顔を覚えてもらうと嬉しい。

篠田俺らのことを最初にバックアップしてくれたのが、原宿のオア・グローリーっていうお店で、そこの店員もスカが好きだったり、夜飲みに行くとよく会ったりね。その頃はマニアックな人が古着屋や洋服屋さん関係にすごく多かった。スカパラがデビューして、やっと普通の人がスカっていうものを知るようになったけど、それまでは全然認知されるような音楽じゃなかったですからね。

山田当時はライヴハウスでやることのほうが少なかったからね。

篠田ライヴやるのはクラブばっかりだったね。そういうところにしかスカを知ってる人がいなかったから。お客さんが4人ぐらいしかいなくて、そのうちの2人がフレイムスのメンバーとか。やりづらい! って(笑)。でも、そうやってわざわざ観に来てくれるのが嬉しいんだよね。

徳永そういえば、CWMはリコ(・ロドリゲス)とか(エディ・)タンタンみたいな人たちと一緒にやってたでしょ? あの時はどういう感じだったの?

篠田もう、すごく興奮しましたね。

徳永やっぱりそうなんだ! だってずっと聴いてきた人たちと一緒に演奏できるんだもんね。

荒川なんかそういう感覚はわかりますね。僕も昔から大好きだったシティボーイズの舞台に一緒に出させてもらった時は、すごく嬉しかったですからね。

徳永その共演が決まった時、すごく興奮してたもんね。

荒川一緒にコントやれたのが本当に嬉しくて。みんな60歳すぎてるのに、狂ってるところがあるのが最高なんですよ。そういう先輩たちがいると、自分もまだまだ大丈夫だなって思うし。きっと、CWMにとってのフレイムスもそうだし、リコやタンタンもそういう存在だと思いますしね。

篠田タンタンなんか、もうすぐ80歳になるっていうのに、未だにライヴ終わりに女連れてこうとするからね(笑)。

山田リコと初めてやるって決まった時、みんな緊張しすぎてピリピリしてて。ちゃんと演ろうって思うんだけど、来日前のリハにはリコがいないわけだから、出来てるか出来てないかわからないんですよね。で、篠ちゃんなんか、どうしていいかわからなすぎて、高尾山に登りに行っちゃったからね(笑)。

篠田何していいかわからないから、一度無になろうって思って(笑)

──役者さんの世界でも上下関係ってあるんですか?

荒川大人計画にはそういうのはあまりないですけど、役者の中ではありますよ。僕はたまに小林薫さんの飲み会に行ってて。それで昔話とか聞くじゃないですか? 唐十郎さんが主宰する状況劇場に所属してた時に、上野公園にテント立てて公演したことがあって。シュノーケルして不忍池に潜ったままスタートするんですよ。学校の机を持って池の中に潜って、ハイはじまった!って時に、池からザバーンと出てくるっていう。
あと昔はやっぱり「明日は6時に新宿スバルビル前に集合」ってなったら「じゃあ、5時半までは飲めるな」ってゴールデン街あたりで飲み明かしたりすることも多かったみたいで。そういう話を訊いたりしたもんだから、僕もちょっとそういうところに影響受けてて、朝まで飲み過ぎてその日のリハーサルの時にずっとゲボ吐いてたことがありましたね。

一同(爆笑)

荒川さすがに舞台は出る前に酒飲んだりはしないけど、逆に二日酔いの時なんかはすごく用心して上手いこと出来たりするんですよね(笑)。

篠田なるほどね(笑)。

荒川すごく用心して、体調大丈夫かなって水をいっぱい飲んだりしてがんばると意外とよかったりして。余計なこと考えちゃうから、あんまり健康すぎてもダメだなって(笑)。ムキムキに鍛えてる人よりも、60歳ぐらいで裸になってる高田純次のほうがカッコイイって思いますしね

──テレビや映画の撮影はまた別かと思いますが、演劇の舞台に立って芝居することと、バンドがステージに立って演奏することってどこか共通する部分がありますよね。

徳永良々と仲良くなる前から、彼が出てるテレビとか映画とかも観てたし、俳優としての仕事ぶりも知ってたけど、演劇ってあまり観に行く機会ないじゃないですか? でも、生で観てみるとライヴ感があって、やっぱりすげぇなって思ったんですよね。CWMもそうだけど、やっぱりライヴならではの良さっていうのがあるんだよね。

篠田CDとか映像とかはいくらでも加工できるじゃないですか? だけどライヴはやっぱり素が出ちゃう。それを受け取るお客さんの空気を感じて、自分の表現に活かすことが出来るような、アンテナというか嗅覚が鋭い人は何をやっても面白いと思いますね。

徳永僕らにとっては展示会っていうのがライヴだと思ってるんで、そこにはビシッとキメるようにしていってる。

篠田音楽にしても、役者にしても、洋服もそうだと思うし。俺らも1曲目にこれをやって驚かせてやろうって考えたりするけど、一方で無理なことはやめようとか。人前でやるってことは、やっぱり生き様がにじみ出ちゃうから。

山田生き様が出るといえば、マコっちゃんが離婚した後のレコーディングが、キレッキレだったんだよなぁ。

篠田今までで一番ドラムが良かったから、みんなで「どうしたんだ?」ってことになって。

大和田そうそう。みんな「どうした? なんかあったか?」って(笑)。

篠田その日は何も言わなかったんだけど、後から「実はあの日、家を出たんだよね」って訊いて。そんなことレコーディングの時には一言も言わなかったからさ(笑)。

徳永さっきの良々の、女にフラれてニューヨークに行った話みたく、人生にはいろいろな転機があるもんだね。

──そんな紆余曲折も経てCWMも20周年を迎えたわけですが(笑)、これから先、CWMにはどういう風に歩んでいってほしいと思いますか?

荒川前にクアトロのワンマンの時にMCで話してたと思うんですけど、今ジャマイカにはスカ・バンドがほとんどいないって言ってたじゃないですか? だから、ずっとこの先も変わらずCWMを聴きたいなって思って。いい歳の取り方を重ねながらね。それは僕自身もそうなんですけど。

篠田そう言ってもらえるのは、本当に嬉しいね。

荒川毎年クアトロのワンマンあって、僕がたまたま仕事で行けない時は、徳永さんから後ろから撮った写真で、お客さんがみんなで手を挙げて盛り上がってるところが送られてきたりすると、なんかちょっと悔しくなってくるんですよね(笑)。もちろんCDも聴いて勉強していきますけど、やっぱりライヴ観られて嬉しいなって思うのはCWMなんですよね。

徳永スカ・フレイムスもTOKYO NO.1 SOULSETそうだけど、毎年決まった時期にライヴをやってるじゃないですか? 自分の中ではもう恒例行事になってるから、観ないとすっきりしないんですよね。

荒川うん、たしかにそういう感じはありますね。

徳永それにしても20周年ってすごいことで。僕らも原宿の路面店を出してから今年16周年になるんですけど、それぐらい経ってやっと、みんなから「原宿の老舗だね」って言われるようになって。だからやっぱり続けることが大事だと思うし。CWM20年か! すげぇな! って改めて思うよね。

篠田やっぱり続けるといいことあるもんですね(笑)

──バンドを20年続けていくことはもちろん大変ですけど、その中でスカ・バンドを20年継続させていくっていうのは、さらに大変だと思いますよね。ある意味〈スカ・バンド〉なんて名乗ってる時点で相当面倒くさいわけで(笑)。メンバーも多いし、音楽的な縛りも多くなるし。

徳永そこで「僕ら、スカ・バンドじゃないんで」って逃げちゃえば、スカ・バンドとしては終わりだもんね。そこをあえて掲げ続けるっていうね。今回、DOARATでコラボTシャツを作らせてもらってるんですけど、山田さんに「どんな要素入れたいですか?」って聞いたら、「〈SKA〉って言葉だけは入れてください」って言われて、それをデザインに反映して。20年やってきて、これは打ち出したい! っていうのが、さらに明確になってるのはカッコいいよね。

山田ここ何年かであらためて、〈SKA〉っていうキーワードは、篠ちゃんからもメンバーからもよく出てきてて。スカ・バンドが少なくなってきた今あえて原点に戻って、今の時代にスカをやってるバンドがカッコいいんじゃないかっていうのは、計算じゃなくて本質的に言ってると思うからね。

荒川演劇と似たところはあって、金儲けでやってないってところも大きいんじゃないですか? 僕も面白い作品に出られたら、それでいいですもん。もちろんプロだから、当然お金はもらわないとやっていけないんですけど、金儲けに走り出すと、なんか下品になっていくというか

──そういう姿勢を持ち続けてる人は信頼できるし、ちゃんと好きなことをやってるっていうのが伝わってきますからね。その人が出てる作品は観に行きたくなるし、お金を払いたくなる。

荒川それに、どんなことでもひとつ面白味を見つけると、姿勢も変わってくるんですよね。たとえば脚本に面白さを見つけられなくても、照明の人がカッコいいとか、楽しみを見つける力っていうのも、だんだんとついてくるものだと思うんですよね。最初から「つまんねぇ」って思って、すべてをシャットアウトしたら、自分の可能性を狭めてしまうと思うし。どこかひとつでも光があれば、そこを笑い飛ばせるようなモチベーションにつながると思うんですよね。

篠田たしかに長くやってると、偏見を持っていたことが、すげえ楽しんだって気付けるようになっていくというか。

荒川どんどん考えがシンプルになって、余計なしがらみから解放されていくような感じありますよね。

篠田若い頃、職人みたいな人ってなんかカッコ悪いって感覚があったんだけど、結局ミュージシヤンも役者もデザイナーもそうだと思うけど、職人みたいなところがあるんだよね。そこが美しいっていうか。俺らだって、何百回と同じ曲も演奏しなきゃいけないしね。そのカッコよさが、若い頃には出せなかった部分だよね。だけど、そっちばっかになりすぎると面白くなくなっちゃうから、そのバランス感覚を上手く保てるのが、いい歳の取り方なのかなって思いますね。

構成/宮内 健(ramblin')

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